ヤマロク醤油の新たな挑戦と使命
日本の伝統文化である発酵食品を絶やすな!倒産の危機から復活、発展へ
小豆島にある小さな醤油屋、ヤマロク醤油。TVで取り上げられた後、大きな反響を呼び一気に注文が殺到。今はネット販売をお休みするほどになった。何が人々を駆り立てたのか?注文が殺到するほどの醤油とは?その秘密に迫る。
実は倒産寸前だった
明治時代には200軒ほどあった醤油屋も、今では20軒に減ってしまった小豆島。大量生産、大量消費の波にのまれ、添加物が入った安い醤油を売らなければ生き残れない。150年続いて来たヤマロク醤油も例外ではなかった。
跡を継がなくていいと言われた5代目山本康夫だったが、醤油屋になる夢を捨てきれずサラリーマンを辞め跡を継ぐ。初めて知る醤油づくりと火の車の内情に驚く。どうにかしなければ店は潰れてしまう。まずは、安い醤油づくりを辞めることを決意。一升瓶でしか売っていなかった形態から核家族向けの小さなボトルも作るようにする。これが大当たり。なんとか建て直すことに成功する。しかし、思わぬところで大きな問題を抱えることになる。
樽の寿命がやってくる
現在木樽で作る醤油や味噌の生産量は、全体の1%以下になっている中、ヤマロク醤油も大きな杉樽を使い、昔ながらの蔵で作っていた。木の樽、土間、土壁に住み着いた酵母菌や乳酸菌など多くの微生物たちの力で、美味しい醤油が出来上がる。ヤマロク醤油にとっては生命線とも言えるものだった。
手作りの樽の寿命は100〜150年。現在ある樽のほとんどが戦前に作られたもので、あと50年くらいで全ての樽がダメになってしまう。問題は、杉樽を作れる職人がほとんど残っていないことだった。大阪で唯一残っていた職人も辞めることが決まっていた。子供や孫の代になったら、もう樽で醤油を作れなくなってしまう!山本は、多額の借金をし、新しい樽を発注する。子供や孫たちのために。本物の味を守るために。職人からはこう言われたそうだ。「醤油屋から新樽の発注がきたのは戦後初だよ」と。
樽職人に弟子入り
発注するだけでは終わらなかった。樽を作る技術を学ぶために、島にいる仲間と共に、最後の職人に学びに行く。世界に誇る和食の基礎である醤油や味噌といった発酵調味料を途絶えさせてはならない。そのために自分が学び、多くの人に伝えていきたい。熱い想いで樽を作り始めるのだが、またもや新たな問題にぶつかる。
杉樽を締めるために使う真竹が、小豆島には一本も生えていないことだった。遠くから輸送すると曲がるため使い物にならない。山本は島中を探してまわる。ようやく竹炭を作る一人のおじいさんと行きあう。先代とも親しい人で、真竹がたくさん生えている林を知っていた。なんとその真竹を植えたのは、3代目である山本の祖父だった。いつか樽がダメになる日を予想し、その日のために植えたのだと言う。こうしていろんな人の力を借りながら杉樽は完成する。現在同じように木樽にこだわる醤油屋や味噌屋から、たくさんの発注を受けているという。
長いスパンで動く視点を持つ
3代目が植えた真竹、5代目が始めた木樽製作。どちらも次の次の代まで見通して行動を起こしていることがわかる。「私たちは世代単位で物事を見ています」と山本は言う。日本文化の一つでもある発酵調味料を途絶えさせないために、100年200年単位で動く山本の姿が、多くの視聴者の心を捉えたのだろう。
ここまでこだわり、日本人としての誇りすら感じさせる醤油を味わってみたい!と思うのも無理はない。
『奇跡体験!アンビリバボー』の特集でヤマロク醤油さんのことを知りました。このドラマチックな復活劇があまりに素晴らしく、また醤油の奥深さも知り、この感動を伝えたい!という思いで書いたもの。
ヤマロク醤油さんHPはこちら→☆
これを書いてから、日本文化や伝統を守っている人々について書きたい!という想いが出てきたきっかけとなった番組です。